オリンピックの起源

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オリンピック起源
最初のうちの記録は残っていませんが、古代オリンピックの記録に残る初のオリュンピア祭の起源は紀元前776年に古ギリシアのエリス地方にあるオリンピアで始まった「オリンピア祭典競技」とされています。
オリンピアはゼウス神の聖地であり、当時も現代と同じくそれは4年ごとに開催される祭典競技でした。当時のオリンピックは、宗教行事であり、全能の神ゼウスをはじめとする多くの神々を崇拝するために、神域で体育や芸術の競技祭を行っていました。
古代オリンピックの種目で初めて行われた競技は、1スタディオン(約191m)を走る「競走」でした。第1回大会から第13回大会(紀元前776年~紀元前728年)まではこの「競走」の1種目だけでしたが、後に競技が追加され18種目にまで拡大。種目はディアウロス競走(現代の400mに相当)やレスリング、ボクシングや戦車競走などのほか、総合格闘技や五種競技(短距離走・幅跳び・円盤投げ・やり投げ・レスリング)などがありました。
古代ギリシアではポリス間で慢性的な争いが起こっていましたが、祭典のために「エケケイリア(聖なる休戦)」と呼ばれる休戦期間を設けていました。出場者はポリスの自由市民に限られており、優勝者にはオリーブの冠が授けられました。
古代オリンピックはなぜ終焉?
オリンピアの祭典は徐々に大人気となり、開催時には多数の観客が来場して人々を熱狂させていきました。 宗教的儀式だったためか、戦争中も戦闘を中断して行われましたが、人々を熱狂させた古代オリンピックも、紀元前146年にギリシャがローマ帝国に支配されたことで状況が大きく変わって行きます。 ギリシャ人以外の人種も参加するようになったことと、国教がキリスト教になったことで、オリンピア信仰が下火となっていったのです。ローマ帝国の支配下となり、テオドシウス帝が起源392年にキリスト教を国教と定めたため、オリンピア進行は異教として禁止され、393年第293回大会を最後に、1169年間の伝統を最後に古代オリンピックは終わりを告げました。
 現代のオリンピックは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵によって1896年第1回大会がアテネで開催されました。
クーベルタンは古代ギリシア・ローマ文明にあこがれを持ち、古代オリンピックにならった競技祭を構想しました。その意味で、彼はオリンピックの再興者、復興者とも呼ばれています。
 クーベルタンがオリンピックを始めようとした根本動機はスポーツを通じて人間を変革することにありました。しかしクーベルタンが考えたオリンピックは、単なる「スポーツの祭典」ではなく、精神の発達を願う芸術祭も含めてのもの、実際に、1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会まで芸術競技が開催され、1952年第15回ヘルシンキ大会から「芸術展示」、1992年の第25回バルセロナ大会からは「文化プログラム」として実施されています。
 その特徴としては、まず「平和の祭典」であること。クーベルタンは「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことをオリンピックの目的に掲げました。また、「勝敗だけではなく、ルールを遵守し正々堂々と全力を尽くす」という「フェアプレーの精神」がオリンピックでは重視されます。
クーベルタンは、人間における肉体と精神の調和を一つの理想とし、スポーツは人間精神を高めるものであると考えました。彼はスポーツで人間が理想に向けて努力する姿を「努力の祭祀」と呼んでいます。
彼が重視したものはスポーツだけではありません、芸術や文学などの面からもスポーツを通じた人間の理想の実現を願っています。
クーベルタンのオリンピズムはスポーツと芸術を通じた人間復興の理念であり、平和への道であり、教育改革でもありました。現在はクーベルタンの思想を受け継ぐ形で、時代と共に変更を加えられながらIOCによって定義づけられています。
現代オリンピックの精神となっている「オリンピック憲章」のには次のように書かれています。
1 オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。
2 オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
(2011年版オリンピック憲章、日本オリンピック委員会)
 

 

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