クリスマスとサンタクロースのお話

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クリスマスとサンタクロースのお話
英語の「Christmas」を訳すと「キリスト降誕祭(こうたんさい)」。キリスト誕生を祝う日なのですが、実は聖書にはキリストの誕生日は書かれていません。
1月1日説、1月6日説など諸説ありますが、不明なのです。では、なぜクリスマスは12月25日なのでしょう?
12月25日にクリスマスが祝われるようになったのは4世紀後半頃。キリスト教は未だ小さな宗教の1つで、3世紀頃にはローマ帝国から弾圧を受け、殉教する信者も多く出ました。苦しい状況にあったキリスト教は、土着の宗教の祝祭とキリスト降誕祭を同化させる事で、土地に根付こうとします。
そこで取り入れたのが、ローマの農耕の神サトゥルヌスを崇める「サトゥルナリア祭(12月17~24日)」と、ミトラ教の太陽神ソル・インヴィクトゥスの誕生を祝う「ブルーマリア祭(12月25日)」。
かくしてクリスマスは12月25日になったのです。

サンタクロースのモデルとなったのが、4世紀の東ローマ帝国の教会司教であった「聖ニコラウス」だと言われています。「聖ニコラウス」は、オランダでは「ジンタ・クロース」と呼ばれていました。それがオランダなまりの英語になって「サン・ニコラース」から「サンクト・クラウス」に変わっていき現在の「サンタクロース」と呼ばれるようになったのです。
「聖ニコラス」は、4世紀頃のミュラ(現トルコ)の司教で、多くの伝説の持ち主です。中でも有名なのは、3人の娘を救ったお話です。
両親亡き後の若き聖ニコラスは、修道院に入る前に財産を処分する必要がありました。そんな時、没落した貴族の3人娘の話を伝え聞きます。姉娘は身売りして妹達の結婚持参金を作るつもりでした。
聖ニコラスは夜、フードで顔を隠し、密かに訪れて金貨を靴に投げ込みます。
「いったい誰がお金をくれたのだろう」といぶかった父親は、3度目の夜に聖ニコラスを捕まえます。口外せぬよう頼んで去った聖ニコラスですが、噂は広まり、語り継がれました。
実は、聖ニコラウスが投げ入れた金貨が煙突の中を通り、暖炉の近くに吊るしてあった靴下の中に入っていたことから、靴下にクリスマスプレゼントが入いるという風習になったそうです。
十代の若さでミュラの司教となった聖ニコラスですが、「命をなげうって人々を幸せにする使命」を担う司教の服は「血」を表す赤色でした。また、アメリカの飲料メーカーであるコカ・コーラ社が、自社の広告に赤い服を着た長い白ひげを生やしたサンタクロースを使用したことで、そのイメージが世界中へ一気に広がったのです。

東方ビザンティン帝国で信仰を集めた聖ニコラスは345年の12月6日に没し、この日は「聖ニコラスの祝日」となりました。
聖ニコラスの遺骨は、1087年にノルマン人によってミュラからイタリアのバーリに移され、ヨーロッパでも聖ニコラス信仰が盛んになります。「聖ニコラスの祝日」には、子ども達は靴に入れた砂糖菓子やおもちゃをもらえました。
カトリックの「聖人信仰」に反対する宗教改革の立役者、マルティン・ルターの家計簿にも「聖ニコラス祭の贈り物」が記録されており、いかに人気のある風習だったかわかります。16世紀の宗教改革によって、欧州では聖人信仰は禁止されましたが、贈り物の風習をなくしてしまう事はできませんでした。それこそ、子供達から恨まれます! 困ったキリスト教会は「聖ニコラス祭」の風習を引き継ぎ、「クリスマス」に贈り物をするようになったのです。

サンタクロースの住所は北極圏。
1927年にフィンランド国営放送局が、「サンタクロースの正式な住居はフィンランド・ラップランドのコルヴァトゥントゥリである」と宣言しました。
コルヴァトゥントゥリの山中で、赤い帽子の妖精・トントゥと一緒に住んでいるそうです。フィンランドのロヴァニエミ市には「サンタクロース村」があり、コルヴァトゥントゥリからやってくるサンタクロースとふれあえます。
また「サンタクロース村」には「サンタクロース郵便局」もあり、世界中の子供たちからから手紙が届くそうです。

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