パラリンピック 歴史

スリーアギトス

パラリンピックの歴史
パラリンピックとは、世界最高峰の障害者スポーツ大会であり、オリンピックと同じく夏季冬季大会が4年に一度オリンピック終了後に同じ場所で開催され、現在ではオリンピック、サッカーワールドカップに並ぶ「もうひとつのオリンピック」として、三大スポーツ大会となっています。
パラリンピックの原点とされているのは、第二次世界大戦後に負傷兵を対象として開かれた治療用のスポーツ大会です。パラリンピック以前にも、障がい者のためのスポーツ大会はいくつか開催されていましたが、イギリスのチャーチル首相らによりストーク・マンデビル病院に脊髄損傷科が設立され、初代科長のルートヴィヒ・グットマン卿が治療にスポーツを取り入れ素晴らしい効果をあげました。
そして1948年、ロンドンオリンピックの開催に合わせて病院内で車椅子アーチェリーの大会を開催します。このときの参加者は男子14名、女子2名でした。その後この大会は毎年開催されることとなり、1952年に国際大会へと発展します。ヨーロッパ諸国が参加することにより、グットマン卿を初代会長として国際ストーク・マンデビル大会委員が設立することとなり、1960年ローマで行なわれた大会(第9回ストーク・マンデビル大会)を後に第一回パラリンピックと位置ずけ、1964年東京大会(第13回国際ストーク競技大会)が第二回パラリンピックとなりました。   
この大会は国際ストーク・マンデビル大会に加え、日本人選手だけの大会も行なわれました。その後、国際身体障害者スポーツ大会へと発展を遂げます。従来のパラリンピックという言葉は、下半身麻痺を意味する「Parapiegia」のOlimpicという発想で東京大会の際に日本で名付けられた愛称でした。しかし身体障害者の国際大会にはその名は馴染まず、1988年のソウル大会からギリシャ語のパラ=Para(沿う、平行)+オリンピック(Olympic)という意味で、「パラリンピック(Paralympic Game)」という解釈で正式名称となりました。オリンピックの直後に同じ場所で開催されるようになります。
第1回ローマ大会は23の参加国、400名の参加選手、実施競技8競技、日本は不参加でしたが、第2回1964年東京大会では 21の参加国、378名の参加選手、実施競技9競技、84名の日本選手団(選手53名、役員31名)との記録があります。1998年長野冬季大会は参加32カ国571人の選手、役員575、合計1,146人5競技34種目でした。
前回の夏季の第15回リオデジャネイロ大会では159カ国が参加、選手に至っては4,333名と22の競技、528種目のうち世界新記録220、パラリンピック新記録は432にも上り、日本選手団は230名(選手132名、コーチ役員は98名)で回ごとに大きくなっています。今回2020東京パラリンピックでの日本選手団は7月30日時点で選手252名、競技スタッフ役員など208名合計460名の登録があり22の競技となっています。                     
パラリンピックのシンボル(スリーアギトス)は、赤、青、緑の三色から成ります。これらの三色は、世界の国旗で最も多く使用されている色ということで選ばれました。
「アギト」はラテン語で「私は動く」を意味します。困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現しています。

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