第18回東京オリンピック競技大会概略

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第18回東京オリンピック競技大会概略
今から57年前の1964年10月10日~24日の15日間、東京(一部埼玉、神奈川、長野県)にて開催されました。参加国は93の地域と国。全参加選手は5,152名(男子4,474女子678名)実施競技数は20競技、実施種目163種目。
最終聖火ランナーをつとめたのは、広島に原爆が投下された昭和20年8月6日に広島市近郊で生まれた早稲田大学の坂井義則でした。
日本代表選手団の人数は役員82名/選手355名男子294名/女子61名合計 437名。
獲得メダル数 金メダル16個 / 銀メダル5個 / 銅メダル8個
第18回オリンピック競技大会となる東京オリンピックの開催が決定したのは、1959年5月26日、西ドイツのミュンヘンで行なわれた第56次IOC総会でのこと。立候補した都市は、ブリュッセル、デトロイト、東京、ウィーンで、投票の結果は東京34、デトロイト10、ウィーン9、ブリュッセル5で、東京と決定しました。
以前、1940年(昭和15)の第12回大会が決定していましたが、日中の間に不幸な戦争が起こり、1938年7月15日大会の返上を決定した。その後、第二次世界大戦とともに、オリンピックも中断を余儀なくされ、戦後復活した1948年のロンドン大会も日本の参加は認められず、1952年ヘルシンキ大会にふたたび招かれるまで参加不能となりました。
当時の東京大会の予算は、1兆0800億円と公表されています。これは、国費で建造した各種競技施設、とくに国立陸上競技場の拡張、国立オリンピックプールの建設など、東京都が建てた駒沢(こまざわ)オリンピック公園の諸施設などで、選手村の改造費、大会関連の高速道路や主要道路、さらに東海道新幹線の建設費なども関連経費に含まれています。大会の直接運営費は98億5800万円で、国と東京都の補助金が各16億8000万円、オリンピック資金財団が扱った寄付金が28億5500万円、入場料16億0900万円、その他事業収入14億4300万円が主要財源でした。他方、日本選手団の選手強化費としては20億円の巨費をかけました。
かつて第12回大会の開催地が東京に決定しつつも開催返上をしてから、実に20年の月日が経過しています。
東京オリンピックは日本のスポーツ界に有史以来の大きなインパクトを与えました。まず、金メダル16個を含む計29個のメダルを獲得し、国際競技力のレベルで、いくつもの競技が「世界に追いつけ、追い越せ」を実現し、あるいは実現可能な手応えをつかみました。
メダル争いにおいては、金メダルはアメリカが36個を獲得してソ連の30個を押さえ、日本は16個を得て3位に入りました。ほかに東西ドイツは統一チームを組み10個、イタリア、ハンガリーも10個、ポーランド7個、オーストラリア6個、チェコスロバキア5個、イギリス4個と続きました。
この大会では、世界新記録も47、オリンピック新記録111を出し、とくに競泳での10代の活躍は目覚ましく、水泳と体操の若年齢化が目だったことは、これ以後のスポーツ界の特色として今日に至っています。マラソンでは、エチオピアのアベベが2連勝を果たし、円谷幸吉(1940―1968)も健闘して3位、メインスタジアムに日章旗を掲げました。ウエイトリフティングの三宅義信が、10月12日、日本の金メダル第一号となり、レスリングでも日本勢が金メダル5個を獲得する大活躍。遠藤幸雄を中心に、男子体操陣も金メダル5個を獲得しています。
また新登場の女子バレーボールは日ソの激しい対戦となり、「東洋の魔女」といわれた日本の女子チームの金メダルは、オリンピック史上に一つの話題を供しました。
10月23日夜の女子バレーボール決勝戦のTV視聴率はなんと85%にも達したといわれています。
(参考 日本大百科全書他)

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